北海道の歴史と変遷はどうなっているの?

北海道の歴史

日本の中でも雄大な土地と自然を有し、観光地としても有名な北海道

しかし元々は先住民であるアイヌ民族が暮らす土地で、明治に入ってから、開拓が始まり、多くの屯田兵が入ってきました。その結果、北海道は日本でも多くの人口が集まる都市となりましたが、アイヌ文化が衰退しその人口も激減しました。

今回は北海道の歴史の流れについて、詳しくご紹介します。

北海道の歴史と変遷はどうなっているの?

アイヌ人と和人の交流の歴史

日本の国土の約5分の1の広さを持つ北海道は、冬の寒い季節が長いことから稲作は行われず、代わりに海を挟んだ対岸の土地との貿易が盛んに行われました。

日本の本土に近い土地では、本土の和人との貿易、北や東側ではロシアやモンゴル、中国との貿易など、北海道の先住民であるアイヌ民族は、周囲の自然から魚や海藻、鳥や動物などを捕り、それを貿易の材料として交流を深めていました。

しかし本土から移住してきた和人とアイヌ人との対立は絶えず、ちょうど室町時代の1457年にコシャマインの戦いが起きます。これは当時製鉄の技術がなかったアイヌ民族に、不当なやり方で鉄を売っていた和人との諍いがきっかけとなったもので、この後もアイヌ人と和人の対立は続きます。

しかし武力によって抑えつけられることになったアイヌ人は、それまでの対等な貿易ではなく、搾取という一方的な形で従わされることになっていくのです。

明治時代の開拓と屯田兵

しかし北海道の土地のほとんどは寒冷な気候であることから、移住した和人が住んでいたのは本州に近い一部の土地でした。

道南に住む和人勢力をまとめ、アイヌと和人の戦いを終息させた蠣崎氏は松前氏と名を改め、徳川幕府からアイヌ人との交易を独占することを認められました。

しかしアイヌ人は今まで行っていた自由な交易を禁じられ、指導者のシャクシャインが立ち上がりますが、アイヌ人は敗北し、アイヌ人は松前藩の支配の元、労働を強いられるようになりました。

そんななかでもアイヌ民族の信仰や生活様式は大切に守られ、引き継がれていきます。

やがて黒船の出現などで外国との交渉が始まり、明治時代になると北海道は今まで「蝦夷地」と呼ばれていたのが「北海道」と改められ、北海道の開拓が始まります。開拓にあたったのは「屯田兵」と呼ばれる農事に携わりながら軍事訓練を行い、有事には兵士として戦う土着兵でした。

寒冷地でも栽培ができる小麦粉などが作られ、開拓は推し進められていきますが、一方でアイヌ人たちは日本人として戸籍などを作られながら「旧土人」とされ、和人とは区別されて差別を受けることになります。

戦争とアイヌ人の権利の回復

戦争の時代に入った日本では、アイヌ人も多くの人たちが兵士として徴集され、命を落としました。

戦後、アイヌ人の社会的地位向上を目指し、北海道アイヌ協会が設立されます(現在は北海道アイヌ協会)。アイヌの文化や歴史の普及を目指し、今も活動は根強く行われています。

しかしアイヌ人であることを隠して生きる人も少なくなく、アイヌ文化を守り、その普及や啓発を目指す法律、「アイヌ文化振興法」が制定されたのは1997年のことで、世界各地にいる少数民族の一つである、アイヌの長い歴史や文化への理解を広める活動はまだまだ十分に浸透していない面もあります。

北海道とアイヌのつながり

アイヌ民族には、自分たちを取り巻く自然を神として敬い、北海道の土地の名前もアイヌの言葉が由来となったものが、今も広く知られています。

またアイヌ独自の楽器や衣装などは、北海道の博物館や民族博物館でも広く展示が行われています。

北海道に行くならその歴史が残る場所へも

アイヌ人と和人の戦いのほか、様々な戦いの舞台となった北海道には、私たちの知らない歴史が数多く眠っています。

今の北海道の発展の裏側で起きていた様々な歴史について、思いをはせながら、またその歴史を学ぶために北海道へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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