平和の大切さをかみしめよう!戦争に関する沖縄の史跡や施設
沖縄は、コバルトブルーの海や、首里城などの人気スポットがあり、楽しいイメージが強いですが、第二次世界大戦中、沖縄では「沖縄戦」が繰り広げられ、数多くの死者が出て大きな惨事となりました。
そのような背景から、沖縄には、戦争当時を現代に伝える史跡や施設が点在しています。沖縄の歴史を理解できる観光施設をご紹介します。
画像引用元:写真AC
戦争の悲惨さを後世に伝える「沖縄平和祈念公園」
沖縄県の南部、糸満市と八重瀬町にまたがる地域には、第二次世界大戦の戦跡をたどることができる「沖縄戦跡国定公園」があります。公園内には数多くの慰霊施設がありますが、その中でも代表的なのが「沖縄平和祈念公園」です。
海を望む高台に位置する公園内には、沖縄戦で亡くなった人々の氏名が刻まれた「平和の礎」や、沖縄平和祈念像が安置されている「沖縄祈念平和堂」、沖縄戦における歴史を後世に伝え、二度と戦争を起こさないことを祈念して設立された「沖縄県平和祈念資料館」があります。
資料館の常設展示室では、沖縄戦の激しさを物語る資料が展示されており、戦争の悲惨さをあらためて感じ取ることができます。
住所:沖縄県糸満市字摩文仁444
アクセス:那覇空港より車で約40分
看護要員の女学生を慰霊する「ひめゆりの塔」
沖縄戦跡国定公園内には、戦争で亡くなった女学生たちを慰霊する「ひめゆりの塔」があります。
1945年、女学生たちは看護要員として従軍しましたが、戦況は悪化し、女学生たちは地下壕へと避難します。しかし、アメリカ軍によって手榴弾が投げ込まれ、地下壕にいた約100人のうち、約90人が死亡しました。また、命からがら脱出した人たちも、地上で銃撃され、生き残った人はごくわずかとされています。
戦後にこの地下壕が発見された際、亡き方々の遺骨を集め、1946年に慰霊碑が建てられました。ひめゆりの塔もまた、戦争の悲惨さを物語ります。
1989年には、ひめゆり平和祈念資料館が設立されました。資料を通じ、戦争の愚かさと、平和の大切さがしみじみと伝わってきます。
住所: 沖縄県糸満市字伊原671-1
アクセス:那覇空港より車で約35分
沖縄本島の南海岸 激戦地に建つ「平和之塔」
平和之塔は、沖縄本島の南海岸、喜屋武(きゃん)岬にあります。沖縄本島の最南部に位置する喜屋武岬周辺もまた、沖縄戦跡国定公園の範囲内となります。
沖縄戦において、日本軍は米軍に喜屋武岬まで追い詰められ、逃げ場は海だけしかない状況となりましたが、喜屋武岬は高台に位置することから、海から飛び降り、自決を図りました。
喜屋武岬まで追い込まれ、自決を図らざるを得なかった戦死者の霊をなぐさめるため、1969年に平和之塔が建立されました。平和之塔から、青い空と青い海を眺めていると、戦争を起こしてはならない、という気持ちがわき上がります。
住所:沖縄県糸満市字喜屋武
アクセス:那覇空港より車で約40分
戦時中の過酷な状況が垣間見える「旧海軍司令部壕」
那覇空港から比較的アクセスの良い場所に、「海軍壕公園」があり、公園内には「旧海軍司令部壕」があります。旧海軍司令部壕は、戦後しばらくは放置されていましたが、当時の状況を多くの人たちに理解してもらうため、1970年に多くの部分が復元されました。
内部には通路が張りめぐらされており、司令官室や幕僚室、医療室などの様子を見ることができ、当時の過酷な状況が感じられます。また、海軍壕公園内には、「旧海軍司令部壕資料館」があり、壕内から発見された遺品などが展示されています。
住所:沖縄県豊見城市字豊見城236
アクセス:那覇空港より車で約20分
現在は、すでに戦後70年が経過し、戦争の悲惨さに接する機会は少なくなりましたが、やはり、戦争は悲惨であることには変わりがありません。
沖縄を訪れたら、戦争遺跡や戦争資料館など、戦争の面影が残る地域に足を運ぶことで、あらためて平和の大切さをかみしめてみましょう。
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