佐賀にある歴史的観光地は何があるの?

佐賀を訪れた際には、温泉や食べ歩きなども良いですが、忘れてはいけないのが歴史的観光地巡り!今回は佐賀の歴史的観光地を紹介します。

吉野ヶ里遺跡

教科書にも出てくる、弥生時代の代表的な遺跡「吉野ヶ里遺跡」は、日本最大の遺跡。佐賀県神埼郡の旧神埼町、旧三田川町・旧東脊振村にまたがっており、古代の日本に関する、貴重な資料や情報が集まっています。

佐賀にある歴史的観光地

吉野ヶ里遺跡では、「魏志倭人伝」に出て来る、邪馬台国に類似した遺構や遺物のほか、有柄銅剣やガラス製管玉などの出土品が発見されました。発見された有柄銅剣や、ガラス製管玉などは、学術的価値が高く、国の重要文化財に指定された程です。

吉野ヶ里遺跡はその後、国土交通省と佐賀県によって整備され、都市公園「吉野ヶ里歴史公園」として、生まれ変わりました。「吉野ヶ里歴史公園」は、大きく分けて、3つのエリア(入口ゾーン、環壕集落ゾーン、古代の原ゾーン)から構成されています。

「吉野ヶ里歴史公園」に入ってすぐの「入口ゾーン」には、映像施設やレストランがある、「歴史公園センター」があります。

「入口ゾーン」を通り抜けると、弥生時代の環壕集落(周囲に堀をめぐらせた集落)が再現された、「環壕集落ゾーン」が広がっており、まるで卑弥呼がいた邪馬台国に来たような、気分に浸れます。

「環壕集落ゾーン」の目玉は「北内郭」と「南内郭」。吉野ヶ里をメインとした、弥生時代の「クニ」全体において、「北内郭」は最も重要な場所とされています。

田植えや稲刈り、大きな「市」、季節ごとの祭りの日程をはじめとする、重要な物事が、儀礼的な話し合いによって決定され、祖先への祀りも行われていました。話し合いでは決まらない物事は、祖先と神の声を聞くことができる「最高司祭者」によって、決定されたとされています。

「吉野ヶ里歴史公園」では、弥生時代の祭りに関する、重要な関係者がいたとされる「巨大な祭殿」など、9棟の建物が復元されています。

吉野ヶ里の集落や、周りのムラを統治していた王をはじめとする、リーダー層の人々が、住んでいた場所と考えられていたのが「南内郭」。

環壕と城柵で囲まれた「南内郭」では、敵を見張るだけでなく、吉野ヶ里集落の権威を示すシンボルでもあった、「物見櫓」と思われる建物跡のほか、一部の有力者のみが所持できる、極めて貴重な鉄製品が数多く、見つかっています。

「吉野ヶ里歴史公園」では、物見櫓4棟や、竪穴住居11棟をはじめとする、合計20棟の建物を復元(集会の館や煮炊き屋なども含む)。また、「古代の原ゾーン」では、様々なレクリエーションを用意。

大正のロマン

東京駅を設計した事で知られる、辰野金吾が関わった建造物として有名なのが、「武雄温泉楼門」と「武雄温泉新館」です。

武雄温泉の入口にある「武雄温泉楼門」は、竜宮城を思わせるような、朱塗りの楼門で「天平式楼門」とも呼ばれます。辰野金吾の設計により、大正4年(1915年)4月12日に完成、釘は一切、使われていません。平成25年に行われた保存修理では、建造された時の朱色が復元されました。

平成17年、「武雄温泉楼門」と「武雄温泉新館」は、国の重要文化財に指定されました。平成15年に完成した復元工事により、「武雄温泉新館」は大正初期に建てられた時の華麗な姿を取り戻しました。

大正天皇の為に作られた、幻の浴室が見学できるほか、貴重なマジョリカタイルや陶板デザインタイルも見る事ができます。「武雄温泉新館」の中では、陶芸を体験することができ、土産物屋と武雄温泉の資料館もあります。

佐賀城鯱の門

1836年(天保7年)に建立された「佐賀城鯱の門」は、現存する貴重な国の重要文化財です。屋根の両端には、青銅製の鯱が載っており、「鯱の門」とも呼ばれます。佐賀駅からバスで15分程で訪れることが出来ます。

いかがでしたでしょうか?佐賀は弥生時代から現代に至るまで重要な遺跡や建設物が残っています。特に吉野ヶ里遺跡は教科書でも出てくる有名な遺跡ですので、1度は訪れてみてはいかがでしょうか!

(画像は写真ACより)

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